100万マイルの読書紀行(第1回)

著:小野寺 伝助

【第1回】
清少納言を求めて、フィンランドから京都へ(著:ミア・カンキマキ/草思社)

「つまらなくて死にそうだ。不安で死にそうだ。ムカついて死にそうだ。何か手を打たなければ。」

まるで十代のパンクバンドが叫んでいそうな言葉から、物語は始まる。主人公は三十八歳で会社員のフィンランド人女性。著者本人によるノンフィクションだ。

『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』の、この冒頭部分を読んで「わかる。その気持ち、もの凄くわかる。」と、三十六歳の会社員の日本人男性である私は激しく首肯した。

つまらなくて死にそうだ。不安で死にそうだ。ムカついて死にそうだ。「そんな感情を三十代になっても変わらず抱いているよ。」と十代の自分に伝えたら、どんな声を出すだろう。

時間というものは平等で、全世界の誰もが一年に一つ歳を取る。

そんで、誰もが平等にいつか死ぬ。ゆえに、人はより良く生きるために、昔から年齢というものをチェックポイントにしがちだ。

例えば孔子は「三十にして立つ、四十にして惑わず」なんて言葉を残している。三十歳で自立しろ、四十歳で心の迷いをなくせ、ということみたいだが、つまらなくて死にそうだ。

また、現代社会を生きる私たちは「三十歳までに結婚すべし」「三十五歳までに昇格すべし」「四十歳までには子供をつくってマイホームをローンで購入すべし」みたいな感じで常に焦らされ、 その先には「六十五歳までに二千万円貯蓄すべし」とくる。不安で死にそうだ。

いずれにしろ、古今を問わず、三十歳、四十歳というのがより良く生きるための重要な通過点とされているようで、三十代後半の私は「そんなの知るかボケ、俺は俺らしく生きるんだ」と強がってみても、周りの友人知人が眩しく見える。

清少納言を求めて、京都へ

年齢ごとに定められる「あるべき姿」から外れても、一般的なロールモデルから外れても、この世界で自分らしく生きていくことは可能だろうか?


可能だよ。


本書は、著者自身が悩みや葛藤に向き合う姿を通じて、読者の背中を押してくれる。

三十八歳にして勤めていた会社を休職し、憧れていた京都で暮らすことを決意した著者。その目的は推し活で、推しの対象は清少納言だ。

枕草子に感銘を受け、清少納言に憧れていた著者は、千年前に清少納言が暮らした京都に自分も暮らし、清少納言に関する文献を漁り、心も身体も推しである清少納言に近づこうとした。

京都の夏の暑さに唸り、ゴキブリと格闘し、自分自身のだらしなさに絶望しながら、出会った人々と交流を深め、清少納言に関する知識を深め、心の中で清少納言と対話をし、思索を深めていく。

そして、日本での滞在も終わりに近づくころに著者はこう悟る。

「あなたは私で私はあなただと気がついた」

書物にこめられた想いは何百年も何千キロも超えて響き合う

清少納言はどんな環境の中で、何を思いながら、どのように生きたのだろうと想いを馳せた先に、著者は、葛藤を抱えながら生きようともがく自分自身と同じ姿を見いだす。

そして、長年勤めた会社を辞め、憧れの清少納言のように物書きとして生きる決意を固める。その過程を書き記した本書は、多くの読者の共感を呼び世界各国で翻訳されるベストセラーになった。

千年前に一人の日本人女性が記した随筆が、時空を超えて一人のフィンランド人の女性の生き方を変えた。書物にこめられた想いは何百年も何千キロも超えて響き合う。これぞ読書の醍醐味だ。

あるべき姿にとらわれず、周囲に惑わされず、自分の好きなことを深く掘り下げていけば、自分の歩むべき道は自ずと開ける。

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(読書マイル)

・累計:24,120マイル
・今回:24,120マイル
(フィンランド→京都→フィンランド→京都→タイ→京都→フィンランド)

(Recommend book)

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ
著:ミア・カンキマキ
訳:末延弘子
出版社:草思社
発行年月:2021年8月

(Written by)

小野寺 伝助(Onodera Densuke)
北海道生まれ。出版レーベル「地下BOOKS」主宰。著者に『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』
https://note.com/hopeonodera

掲載日:2022年8月27日

初回公開日:2022年2月28日(旧WEBサイト)

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