7歳が流してきた、切なくて幸せな涙たち。
著:今中 有紀
息子が、もうすぐ小学1年生を終えようとしている。
私は少し心配している。
大好きな現在のクラス、1年3組の最終日には泣き崩れてしまわないだろうか、その日からしばらくは立ち直れなくなるのではないだろうかと。
息子は特別、泣き虫という訳ではない。派手に転んでもケロっとしていることもあるし、友達とケンカしても泣かずにプリプリ怒っていることの方が多い。
でも特定のときにだけ、もう手のつけようもないほどにボロボロに泣く。例えばこんなときだ。
そのときだけじゃない。思い出しては泣いてしまう
今から約2年前、保育園の年中組が終わろうとしていた早春。息子は3年間担任をしてくれた大好きな先生が転勤してしまうことを知った。
先生から聞かされた瞬間「えーっ!?」と驚き興奮する他のクラスメイトをよそに、息子は派手に泣き出してしまったらしい。
そして、家に帰ってから先生の転勤のことを私に伝えたときはもちろん、トイレの中で、お風呂の中で、ふとした瞬間に思い出しては泣いていた。
「僕の大好きな先生やったのに~!うぇ~ん!」。
機嫌をとるために外に連れ出してくれたパパに、好物のお菓子を買ってもらってご機嫌になったはずなのに、帰宅して我に戻ってはまた泣き……。1週間くらいはそんな調子だった。
その約1年後の保育園の卒園式では「人前で泣いちゃダメだ」という気持ちが芽生えはじめたのか、式典の最中に大声を出して泣くことはなかった。
でも、先生からの贈る言葉を聞いているとき、卒園の歌を合唱しているとき、クラスメイトと一緒に“別れの言葉”を発するとき、手のひらをぎゅっと握りしめて、目を真っ赤にして、泣くのを我慢していた。
そんな息子の姿に、親である私は無遠慮に泣いていたというのに。
その後、帰宅してからはやはり、わんわん泣いていた。あれから1年が経とうとしているが、息子は今でも卒園式の動画や写真を見ることもできないし、卒園の歌を耳にすることすらできない。
「だって、寂しい気持ちが戻ってくるから……」。
楽しければ楽しいほど、泣いてしまう。それはそれは辛そうに
息子が泣き崩れるのは、単純な「別れ」のときだけではなかった。
例えば、5歳の誕生日に訪れた職業体験テーマパークの「キッザニア」。
息子はさまざまな仕事人に本気でなりきっていて、これ以上にないほどイキイキとしていた。
閉館後、帰りたくない!という息子の手を引いてなんとか家路についたが、その約1時間半の間、なんと10分ごとくらいに泣いていた。
電車の中でもしくしく泣いていたので、周囲からは何か駄々をこねている子に見えたのかもしれない。
実際は「キッザニア……楽しかったぁ。もっと働きたかったよぅ……」と思い出しては涙ぐんでいた。自宅に到着し、好きなキャラクターの誕生日ケーキを差し出すと一瞬にっこりしたが、ケーキを頬張りながら「キッザニア……」とまた涙をぽろり。
保育園最後の運動会でも同じようなことが起こった。軽快な音楽の中、ひとりひとりにご褒美のメダルが与えられる楽しい雰囲気の閉会式。
子どもたちは歓声をあげて、みんなニコニコとしている。同じく息子もメダルをもらって満面の笑みを見せたのだが、閉会式が終わりに近づくにつれてみるみる涙目になっていく。
そして、運動会終了後はすねたようにべったりと家族に張りつくので、写真撮影を楽しむクラスメイトをあとにして早々に帰宅した。
「どうしたの?運動会で何かうまくいかなかった?嫌なことでもあった?」そう聞くと、
「ううん。運動会に家族や大勢の人が見に来てくれたから楽しくて、終わるのが嫌やってん」とえんえんと泣いた。
誰かとの別れだけでなく、楽しい時間との別れにまで大打撃を受けてしまう息子。
泣きながら「なんでこんなに苦しいの?」、「この気持ち、どうしたらいいの?」と本当に苦しそうに訴えてくる。
感受性が豊かな幼少期とはいえ、ここまでくると辛そうだ……。
息子の背中をさすりながらいたたまれない気持ちになった私は、頭をフル回転させて、子どもの頃の自分の心を掘り返してみた。
少なからず思い当たる節があったからだ。
ごめん。そういえば、私もそういう子どもだった
目を合わせたら泣いてしまうから、まともに先生の顔も見られなかった卒園式。
めったに会えない従兄弟たちとの年に1度の旅行の帰路。
浴衣姿で夜空に胸を高鳴らせた花火大会の帰り道。友達と露天を出してはしゃいだ学園祭の撤収後……。
子どもの頃の私も、やっぱり泣きそうな気持ちになっていた。
息子のように素直に泣きはしなかったが、楽しい余韻以上に寂しさが勝って、その夜は寝付けないことが多かった。
……ごめん。この気質は私が受け継がせてしまっていたみたい。
こんなことも思い出した。
中学校の卒業式。生徒で式歌を決めることができたのだが、私は当時好きだったB’zを激推しして投票で勝ち取り、卒業生一同で「さよならなんかは言わせない」という曲を歌った。
自分が推薦した曲だからこそ思いを込めて歌えたのに、泣きながら歌う同級生を尻目に、涙は一粒も流れなかった。
一方、高校の卒業式では、歌詞の内容がピンとこない「仰げば尊し」を歌いながら号泣した。
中学校の卒業式では、ファンでなければ知らないようなB’zのアルバム曲の合唱に同級生全員を巻き込んだ張本人のくせに、我ながら薄情だ。
それほど、厳しい規則と内申点に縛られて息苦しかった中学校生活と、のびのびした校風の中で楽しい思い出がたくさんできた高校生活への思いの差があったのだ。
息子だってそうだ。
数年間通ったプール教室を辞めるときは一粒の涙も流さず笑顔だった。厳しい先生が苦手だったし、自分で辞めたいと言ったから。
でも、保育園も、運動会も、キッザニアも楽しくて仕方がなかった。保育園の先生もお友達も大好きだった。
だから、終わりや別れが耐えきれないほど辛く感じていたのだろう。
そう考えたら、別れが嫌だと泣けるほど楽しい出来事や大好きだと思える人達と、生まれてからたった7年の間にこんなに出会えている彼は、なんと幸せなのか!
泣きたくなるのは、幸せなこと。今だけは一緒に分かち合おう
「そうやって泣きたくなるのは、その分めちゃくちゃ楽しかった、大好きだったっていう証拠だよ。幸せなことなんだよ」そう声をかける私を、息子は涙目で見上げる。
「え、幸せなの……?」正直、その顔は全然幸せなじゃなさそうで、心底辛そうだ。
うん、わかる。今は幸せより辛さが勝ること。
でも、彼もいつか気づくはずだ。泣きたい気持ちになった出来事ほど、何十年経っても鮮やかに思い出せる幸せな記憶になることを。
小学校の入学式が終わるや保育園へランドセルを見せにいき、その後も放課後に園へ寄りたがった春。
「しばらく小学校の先生やみんなに会えなくなるの寂しいねん」とシュンとして、保育園の話は口にしなくなった夏休み前。
「1年3組終わるの嫌やな……」とつぶやくようになった冬。
そして今、息子にまた新しい春と新たな別れが訪れようとしている。1年生の最終日には、息子がぐしゃぐしゃに大荒れして私はまたオロオロと困ってしまうかもしれない。
でも、人目もはばからず泣いていた息子が外では涙をこらえるようになったように、いつの日か親の前で泣くことも、抱えきれない気持ちを共有してくれることもなくなっていくだろう。
だから今だけは、息子が見せてくれる切なくて幸せな涙を、いい出会いに恵まれた感謝を、同じ気持ちになって分かち合いたいと思う。
そして、これからも泣いてしまうほど素敵な出来事や誰かに出会えることを、そっと願おうと思う。
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(Written by)
今中 有紀(Imanaka Yuki)
広告代理店で約10年間、コピーライター、プランナーとして企業や商品のブランディングに携わり、各種企画、コピーライティング、ディレクション業務を担当。
独立後は大阪を拠点に全国とつながり、ブランディングやコピーライティングの他に、インタビュー記事の執筆、プレスリリースの作成、プロモーション企画の立案など幅広く活動。作詞、脚本にも挑戦中。
掲載日:2022年2月28日
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